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出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」 

平安京と金売吉次

gallery hotel KAGUYAは、新町通と高辻通の交点に位置し、かつては平家物語等で重要な役割を果たした黄金の商人、金売吉次の広大な邸宅があったともいわれております。
平安時代から受け継いだ「日本の伝統的美意識」「風流」をホテルのコンセプトとして取り入れ、平安貴族の優雅な暮らしを現代に再現し、京都の匠の技が光る空間として誕生いたしました。
かつて平安京があった京都で、当ホテル周辺はどのような場所だったのか。gallery hotel KAGUYAのコンセプトとなった歴史をご紹介いたします。

平安京は京都のどの辺りにあったのか

京都市の中心部に位置していました。市内には当時の通りの多くが現存し、二条通(二条大路)、錦小路通(錦小路)、
室町通(室町小路)など当時の名称が使われている通りも多数あります。

「古代の京都、ヤマシロオーバーレイマップ」(立命館アートリサーチセンター制作)では 現代の地図上に平安京を重ねた地図をご覧いただくことができます。
また、平安京については京都市内の以下の施設にて平安京の1/1000復元模型の見学や当時の生活様式の体験などができます。

KAGUYA周辺は平安時代どのような場所だったのか

文献や発掘調査等によると平安時代中期から後期にかけて、天皇の仮の御所とされた里内裏が多数存在し、摂関家をはじめとした貴族の邸宅があり、高級住宅地のような地区でした。詳しくは以下の各図をご覧ください。

里内裏:仮皇居であり、火災により焼失した平安宮内裏の修復などの際、平安京内に置かれ、退位後は住居として利用された。摂関家など側近貴族の私邸、別邸を改築して里内裏とすることが多く、平安末期には里内裏を皇居とすることが慣例化された。

金売吉次が平安時代にKAGUYAの周辺に住んでいたという記録

江戸時代に販売されていた京土産「京の水」の付録「花洛往古図」に記載があり、インターネット上で国立国会図書館が所蔵する寛政3年版(西暦1791年)を閲覧することができます。

ただし、この図は当時の伝承、考証により制作されたもので金売吉次の邸宅について文献や発掘調査等で裏付けされた事実はありません。文献や発掘調査等に基づき制作された「平安京図」(参照)では当地は空白となっています。金売吉次については歴史ロマンとしてお楽しみいただけると幸いです。

文献について詳しくみる

KAGUYA 周辺拡大図(「花洛往古図」)
「花洛往古図」(国会図書館デジタルコレクション)
デジタルアーカイブされた鮮明な画像は以下のリンク先でご覧いただくことができます。 西尾市岩瀬文庫所蔵
「花洛往古図」デジタルアーカイブ

金売吉次(かねうりきちじ)

「義経記」をはじめ「平治物語」、「平家物語」、「源平盛衰記」など鎌倉時代以降に成立した軍記物語に登場しますが、実在していたという証拠はなく、伝説上の人物といわれています。

吉次信高、橘次、吉次末春など書物により名称や表現が異なりますが、金商人として都と奥州を行き来し、源義経を平泉の藤原秀衡に引きわせた人物として描かれています。

「平家物語図屏風」江戸時代前期 17世紀 岡田美術館蔵



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