金売吉次と平安京について
金売吉次(かねうりきちじ)は実在の人物ですか?
「義経記」をはじめ「平治物語」、「平家物語」、「源平盛衰記」など鎌倉時代以降に成立した軍記物語に登場しますが、実在していたという証拠はなく、伝説上の人物といわれています。 吉次信高、橘次、吉次末春など書物により名称や表現が異なりますが、金商人として都と奥州を行き来し、源義経を平泉の藤原秀衡に 引きわせた人物として描かれています。
金売吉次が平安時代にKAGUYAの周辺に住んでいたという記録はありますか?
江戸時代に販売されていた京土産「京の水」の付録「花洛往古図」に記載があり、インターネット上で国立国会図書館が所蔵する寛政3年版(西暦1791年)を閲覧することができます。 ただし、この図は当時の伝承、考証により制作されたもので金売吉次の邸宅について文献や発掘調査等で裏付けされた事実はありません。 文献や発掘調査等に基づき制作された「平安京図」(参照)では当地は空白となっています。 金売吉次については歴史ロマンとしてお楽しみいただけると幸いです。
-KAGUYA 周辺拡大図(「花洛往古図」)
-「花洛往古図」(国会図書館デジタルコレクション)
デジタルアーカイブされた鮮明な画像は以下のリンク先でご覧いただくことができます。 西尾市岩瀬文庫所蔵
-「花洛往古図」デジタルアーカイブ版
平安京は京都のどの辺りにあったのですか?
京都市の中心部に位置していました。市内には当時の通りの多くが現存し、二条通(二条大路)、錦小路通(錦小路)、室町通(室町小路)など当時の名称が使われている通りも多数あります。
「古代の京都、ヤマシロオーバーレイマップ」(立命館アートリサーチセンター制作)では 現代の地図上に平安京を重ねた地図をご覧いただくことができます。
また、平安京については京都市内の以下の施設にて平安京の 1/1000 復元模型の見学や当時の生活様式の体験などができます。
-平安京について
-古代の京都、ヤマシロオーバーレイマップ
-京都市平安京創生館
KAGUYA 周辺は平安時代どのような場所でしたか?
文献や発掘調査等によると平安時代中期から後期にかけて、天皇の仮の御所とされた里内裏が多数存在し、摂関家をはじめとした貴族の邸宅があり、高級住宅地のような地区でした。詳しくは以下の各図をご覧ください。
里内裏:仮皇居であり、火災により焼失した平安宮内裏の修復などの際、平安京内に置かれ、退位後は住居として利用された。摂関家など側近貴族の私邸、別邸を改築して里内裏とすることが多く、平安末期には里内裏を皇居とすることが慣例化された。
-KAGUYA 周辺図
-「平安京図」(公財)京都市埋蔵文化財研究所
上記資料の掲載、リンクによる参照については以下の各団体の許可または承諾を得て掲載しています。
・国立国会図書館
・公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所
・京都市生涯学習センター(京都アスニー)
・立命館大学アートリサーチセンター
・西尾市岩瀬文庫